壁と卵 by 村上春樹
私の答えは、このようなものです。すなわち、巧妙な嘘をつくことによって、つまり本当のように思われるフィクションを作り上げることによって、小説家は、真実を新しい場所に運び出して、それを新しい光で輝かせるのです。ほとんどの場合、真実をそのままの形で掴み取って、それを精確に記述することは、実質的に不可能です。ですから、私たちは、真実が隠れているところから真実をおびきよせたり、真実を、フィクションの場所に移したり、真実をフィクションの形と置き換えることによって、真実のしっぽを捕まえようとします。しかし、これを成し遂げるためには、そもそも私たちは、私たちの内部のどこに真実が存在するのかを明確にしておく必要があります。これは、良い嘘をつくための、重要な条件です。
そういう訳で、私はここに来ました。私は、ここに来ないことよりも、来ることを選びました。目をそらすことよりは、自分の目で見ることを選びました。何も言わないことよりは、皆さんに語りかけることを選びました。
「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ」
なるほど、壁と卵だ。
しかも、たとえ壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っていようとも、私は卵の側に立つのです。他の人は、何が正しくて何が間違っているか決めなければいけないでしょう。ひょっとすれば、時間や歴史が、決めることもあるでしょう。理由が何であれ、仮に、壁の側に立って作品を書く小説家がいるとすれば、そのような作品に如何なる価値があるでしょうか。
このメタファーの意味するところは何でしょうか。ある場合においては、それはあまりに単純で明白です。爆撃機、戦車、ロケット砲、白リン弾が、その高く堅い壁です。卵は、それによって、蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装市民です。これは、メタファーの意味の1つです。
でも、これで全てというわけではありません。より深い意味もあるのです。こんなふうに考えてみてください。私たちのそれぞれが、多かれ少なかれ、1個の卵なのだと。私たちのそれぞれは、脆い殻の中に閉じ込められた、ユニークでかけがえのない魂です。これは、私にとっても当てはまりますし、皆さん方のそれぞれにとってもあてはまります。そして、私たちそれぞれは、程度の差こそあれ、高く堅い壁に直面しているのです。壁には名前があります。「システム」です。システムは、私たちを守るべきものです。しかし、時には、それ自身が生命を帯び、私たちを殺し、私たちに他者を殺させることがあります。冷たく、効率的に、システマティックに。
私が小説を書く理由は1つだけです。それは、個人の魂の尊厳を外側に持ってきて、光を当てることです。物語の目的は、警鐘を鳴らし、システムがその網の中に私たちの魂を絡めとり、損なうことがないように、システムに光を照射し続けることです。私は、小説家の仕事とは、物語―生と死の物語、愛の物語、人をして涙させ、恐怖で震わせ、可笑しみでクツクツと笑わせるような物語―を書くことによって、それぞれの魂の唯一性を明確なものにしようと挑戦し続けることであると、心から信じています。これが、私が、毎日進み続け、来る日も来る日も真剣にフィクションを生み出している理由なのです。
「私が小説を書く理由」めっちゃいいな…。小説をコードに差し替えてぼくが言ったことにしたい (?)
このことについて、少し考えてみてください。私たちのそれぞれが、触れられる、生きている魂をもっています。システムは、そういうものではありません。システムが、私たちを利用するのを許してはいけません。システムが、それ自体生命を帯びるのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではありません。私たちがシステムを作ったのです。
村上春樹さんがここで言う「システム」ってのは、だいぶ狭義な印象を受けるなあ。これだけ引っかかった。ぼくは複雑系科学の発想が根っこにあるから、生態系のような系 (システム) について考えることも多いし、もっと広義に捉えているな。